子供の頃に読んだ文章といえば、作家、エッセイスト、新聞や雑誌の記者など、いわゆる「文章のプロ」によるものばかりだったが、インターネット技術の発展と普及により、それ以外の人による「素人の文章」を読む、または読まされることの方が多くなった。このブログもそうだ。
それでも90年代までは、個人サイトでほそぼそと日記を書くか、趣味で小説を書いている人(もしくは作家を目指して修行中の人)が作品を発表するくらいだったが、2000年頃から、登録したユーザーに日記を書かせるサイトが現れ、ブログやSNSの登場により、かなりの人が日記なり映画や本のレビューなり紀行文なりの文章を書くようになった。
そこで目に付くようになったのが、素人ゆえの読みにくい文章や誤字・誤変換の混ざった文章だ(もっとも、作家や記者の書く文章は、出版社の校正係のチェックが入るので、誤字などは直されるのだが)。
まず、読点がやたら多かったり、意味のないところに付けてある文章。例えば上の文でいうと、「そこで、目に、付くように、なったのが、素人ゆえの・・・」といった感じだ。お前は喋るときもこんなに息も絶え絶えなのか、と思ってしまう。
それから、句点から句点まで(ひとつの文)が長いというケース。お前は倉本聰か。というか、自分がそうだ(シャレではない)。最初の段落など、「~多くなった」まででひとつの文だ。
誤字、というよりは仮名遣いが違うというケースも多い。「旅行のお土産にまんじゅうを4個もらったので、弟と2個づつ分けた」という文があったとしよう。日常のほのぼのとした風景だが、「づつ」ではなく「ずつ」が正解だ。旧仮名遣いでは「づつ」と書いたのかもしれないが、小学校では「ずつ」と習っているはずだ。ところが「づつ」と書く人がやたらと多い。これを見るとイライラするので、どうにかして「ずつ」と書いてもらいたい。
作家を目指す10代後半~20代前半の若者の作品で見かけるのは、わざと難しい漢字や読み方を使うことだ。人名もそうだし、「只」「所為」「所謂」なんて漢字を使いたがる人が多い。このあたりは、校正の係の人にみんなひらがなに直される。常用漢字ではないからだ。それから「うるさい」を「五月蝿い」と書きたがる人もいるが、これは太宰治だったか、明治・大正の頃の文豪が作った当て字で、正しくは「煩い」だ。
文章の素人でも他人に文章を読ませる以上は、小説でもエッセイでも、プロの書いた文章を読むことと、読み手が読みやすいように書くことは心がけなければならないだろう。
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